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![]() ドーベルマンの歴史 |
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Karl Friedrich Louis Dobermann
カール·フリードリッヒ·ルイス·ドーベルマン氏
(1834年1月2日 - 1894年6月9日【独】アポルダ)
ドイツのアポルダ・ニーダーロースラー地区の収税吏であり、野犬捕獲員だったドーベルマン氏は持ち歩く現金の安全と護身のため、そして野犬の捕獲のためにこのブリーディングを普仏戦争の後の1876年頃からはじめた。
当時、アポルダの町では年に数回【犬市】が開かれていた。そこで彼は、優れた気質を持つ犬を目視で選び掛けあわせた。最初に選んだ犬は犬種こそ不明だが、名前はオスのシュナップとメスのビザルトといった。
この犬市には“フライシャーフント”と呼ばれていた犬が盛んに売買されていたと記録されているが、シュナップやビザルトがそうかというと定かではない。
この新型の犬種の作出にとりかかりはじめ、たった数年で、力・忠誠・知性そして狩猟の全てを完璧に揃え持つ新型の犬種の土台を彼は作り上げた。野犬捕獲に従事していた彼にとって、犬の気質を見抜くことはそう難しいことではなかった。
彼の死から1年後の1895年、既に【ドーベルマンの犬】や【ドーベルマンが連れていた犬】として知られていたその犬種に正式な名前が定められた。
【ドーベルマン(Dobermann)・ピンシャー(pinscher)】
※ドイツ語でピンシャーとはテリア=猟犬の意味を表す。
※ドイツではドーベルマン以外に作出者の名前がついている犬種はいない。
同じくアポルダの町に住む“Goswein Tischler(ゴスヴィン・ティシュラー氏”、“Otto Goeller(オットー・ゲラー)氏”がドーベルマンのブリーディングを引き継いだ。
第二次世界大戦も終わりを迎えた1948年、軍用犬・警察犬として功績を収めたドーベルマンに、もはや猟犬の意味を表す“ピンシャー”というドイツ語が適切ではないという理由で、ドイツは正式にドーベルマンの犬種名から“ピンシャー”を取り下げた。
続いてイギリスも同じようにドーベルマンからピンシャーを取り外し、今ではヨーロッパ全土で正式犬種名【ドーベルマン(DOBERMANN)】として認知されている。
1900年代初期の頃、“Otto Goeller(オットー・ゲラー)氏”らを含めて、ドーベルマンの土台について数々の憶測が飛び交った。一般にジャーマン・ピンシャー、ジャーマン・シェパード、ロットワイラー、ブラック・アンド・タン・テリア、グレート・デーン、ワイマラナー、ダックスフント、ボースロンなどが、ドーベルマンに挿入された犬種として定説となっているが、では実際にどの程度なのかという点においては一切不明だ。この他にも、ドーベルマンの土台について数多くの定説があるが、年代や内容において矛盾するものも非常に多い。
ドイツのドーベルマン協会がドーベルマンの原種の本格的な調査に乗り出し、結果ジャーマン・ピンシャーがもっとも有力かつ代表的な原種であると発表したが、1947年になると協会内部で有力原種は1500年代にすでにいたとされるボースロンだと主張する人物も現れている。
ドーベルマンの土台について、全ては憶測の域を出ることはない。なぜなら、生みの親であるドーベルマン氏は、何を掛け合わせたのかその種類や見た目の特徴など一切記録を残していないからだ。
彼にとって犬種や見た目は
さほど重要ではなかった。
新種に必要なのは【気質】
それだけが何よりも重要だった。
【気質】だけで選ばれた犬達が元となるドーベルマン。
ドーベルマンの絶対的な【忠誠心・知性・力】これらの能力がなぜ群を抜いてを突出しているのか、理由はそこにある。
現在、ドーベルマンは世界中の人々から認められる犬種となった。護衛能力の高さから勇ましいイメージだけが先行しがちであるが、この犬種の最も優れた能力は類稀なその忠誠心と忠誠を誓った者への愛情深さといえる。
秀でた能力と高貴な姿を申し分なく兼ね揃えたこの犬種に、
時代を通し誰もが魅了されている。
Pay tribute to them
画像資料<http://www.apolda.de/>
【source:Doberman History】